新型コロナ対応でアジアとアフリカが連携―パスツール・ネットワークの取り組み(下)

2023年01月12日

樋口義広(ひぐち・よしひろ):
科学技術振興機構(JST)参事役(国際戦略担当)

1987年外務省入省、フランス国立行政学院(ENA)留学。本省にてOECD、国連、APEC、大洋州、EU等を担当、アフリカ第一課長、貿易審査課長(経済産業省)。海外ではOECD代表部、エジプト大使館、ユネスコ本部事務局、カンボジア大使館、フランス大使館(次席公使)に在勤。2020年1月から駐マダガスカル特命全権大使(コモロ連合兼轄)。2022年10月から現職

2020年初めの新型コロナ発生後直ちにパリIPはタスクフォースを立ち上げ、対応策の検討と実施を開始した。いくつかの主要な科学的発見を行うとともに、その研究成果の一部は商業的応用にもつながった。

パリIPは、2020年1月24日に新型コロナウイルスを隔離し、欧州で初めてのシーケンシング(塩基配列解析)を実施した。以来の様々な研究活動と成果については、同研究所の報告書に詳しい 1

ネットワーク中核であるパリIPの活動と並行して、グローバル・ネットワークとしてのパスツール・ネットワーク(PN)による対応も速やかに起動した。フランスやEUによる緊急資金も動員しつつ、パリIPはPNを通じて新型コロナ関連の共同研究をメンバー機関に呼びかけ、30以上の研究プロジェクトが採択された。テーマは、診断ツールの開発、抗ウイルス薬研究、免疫ワクチン、動物病原巣(animal reservoirs)や種のジャンプ(species jumps、病原体の新しい宿主への移動)の探求等、多岐にわたった。

各プロジェクトには複数のPNメンバー機関が参加したが、その組み合わせを見ると、地域的なもの(例えばアジア地域の複数メンバーによる共同研究)がある一方、地域を超えた組み合わせ(例えばカメルーンと韓国のパスツール研究所の共同研究等)も見られる。地域的多様性を反映したネットワークの特徴が活かされていることは興味深い。

アジアの研究成果、アフリカと迅速共有

アジアで最初に発生した新型コロナ感染は、時間の経過と共に世界中に伝播していったが、初期の段階におけるアジアでの研究成果がPNを通じて速やかにアフリカにも共有され、一部については感染の到着を先回りする形で活かされたことも明らかになっている。

最初の感染発生場所と地理的に近かったこともあり、アジア地域のPNメンバー機関は、早い段階で各国のレファレンス・ラボに指定され、それぞれ各国の保健当局を実務的に支援した。特に活発な動きを見せたのが、香港大学・パスツール研究センター(Hong Kong University-Pasteur Research Pole(HKU-PRP))である。動物インフルエンザ、SARS、MERS等人獣共通感染ウイルス感染の研究で実績のある同研究所は、新興感染症の研究ハブとして知られる。同センターの共同所長を務めるLeo Poon博士は、PN報告書に掲載されたインタビューの中で、コロナ感染発生の初期段階における同センターの活動と貢献について語っている 2

HKU-PRPは、香港大学公衆衛生学部と協力して、2020年1月初めに新型コロナの診断プロトコールの開発に取り組んだ。十分な分析評価を実施した後、1月16日にはWHOに、その後は全ての国に、プロトコールが解禁された。HKU-PRPは、1月17日にウイルスを増幅するためのプライマー(PCRで増幅させたいDNA配列の両端に結合するように作られた合成DNA)を開発し、独ベルリン・シャリテ病院と共にプライマーを最初に開発・提供したラボとなった。

香港大学・パスツール研究センターが入る建物

1週間後、パリIPの生物学的脅威緊急対応ラボ(CIBU)とHKU-PRPは、ベルリン・シャリテ病院とHKU-PRPが開発した診断プロトコールと試薬を、PNを通じてアフリカ等、世界の各地域のPNメンバーに共有した。これが新型コロナウイルスを探知するPCR検査(RT-PCR test)に道筋をつけることになった。

パリIP/CIBUは、アジアやアフリカを含む20カ国以上のラボに対して診断とラボの品質管理のための訓練を提供した。こうした動きを踏まえ、PNメンバーのダカールIPは、セネガル国内の全ての検査を分析する一方、アフリカ15カ国のラボ人員に対して訓練を提供した。この訓練によって、アフリカ各国のラボは、国内で新型コロナ感染が発生する前の段階で最初の感染例を確認するための準備が出来ていたと言われている。ウイルスの検知・分析のノウハウは、地域的多様性に富んだPNを通じて、アジア(香港)から欧州(パリ)を経由してアフリカに共有されていった。PN自身、こうした一連のダイナミックな動きを「前例なき連帯の物語(the story of unprecedented solidarity)」と誇らしげに呼んでいる。

また、保護具や試薬等が世界的に不足する状況下、PNは特に脆弱国の便宜を図るために機資材の発注手続をグループ化することも行った。こうした機材供与のための後方支援についてはパリIPが資金面を含めて大きく貢献した。初動段階で出荷された医療物資の総量は、対14カ国向けで200立方メートルを超えた。機材協力に加え、分析や診察のための人員トレーニングや、プロトコールや試薬の共有も行われた。

PNを通じた支援と協力によって、PNメンバーはそれぞれの国・地域で新型コロナ対応における主力研究・医療機関として活躍することができたのである。

アジアにおけるネットワークの活動

カンボジアやラオスの場合のように、アジア地域のPNメンバーは、新型コロナ発生の初期の段階から各国保健当局から第一線ラボに指定され、それぞれの国における新型コロナ感染の診断・分析について主導的な役割を果たした。

カンボジアのパスツール研究所(IP)は、感染が疑われるケースについての分析・診断とコンタクト・トレーシングを集中的に実施した。この積極的な活動によって、同IPは2020年4月にWHOから新型コロナのリファレンス・ラボに指定されている 3

ラオスでは、当初新型コロナ感染の報告が極端に少なかったことから、政府当局はラオスIPに対して、国内で探知できていないウイルス循環の有無を調べるための調査を委託した。ラオスIPは、3000人以上の参加者に対して血清有病率調査を実施したが、その際、他のコロナウイルスと差別化する観点から3回の異なる検査すべてで陽性とされた場合に新型コロナウイルスの存在を確認するとの判定基準が採用された。調査の結果、3000名のうち、2名が2つの検査で陽性となったが、3つの検査すべてで陽性となった人はゼロであった。2020年の段階でラオスでは新型コロナウイルスの循環はなかったと判断されることになり、この検査結果は、Lancet Regional Health 誌に公表された 4

ベトナムの3つのIPもベトナム当局から同国のレファレンス・ラボに指定され、新型コロナ関連の調査・研究が実施された。ハノイIP(国立衛生疫学研究所)は、最初の感染から100日間について集中的な分析を行い、入院期間の長さと関連する諸要素の特定を試みた。ホーチミンIPは、ベトナム国内の最初の2つの感染例について、臨床的な特徴とゲノム配列を分析した。

韓国IPは、市販または臨床試験中の数千種類の薬剤の審査(スクリーニング)を実施し、慢性膵炎治療に用いられた2つの抗凝固剤(nafamostat とcamostat)に抗ウイルス効果があることを確認し、臨床試験が実施されることになった 5

HKU-PRPとバージニア工科大の研究者は、ポリウレタンと結合した酸化銅を含む表面コーティングが、1時間以内にウイルス数を99.9%低下させて新型コロナウイルスを無効化することを示し、金属、ガラス、ドアハンドル等にこの表面コーティングを施すことで間接接触によるウイルス拡散のリスクを低減させるとした。

なお、PNの新型コロナ関連の活動は、メンバー国以外の他のアジア各国(フィリピンやミャンマー)にも裨益(ひえき)したものがある。

2020年以降のPN及びパリIPの活動の中で新型コロナ関連の活動は特筆に値するものではあるが、これはこの時期にネットワークと各メンバーがこの問題だけに専念していたことを意味するものではもちろんない。各メンバー機関は、新型コロナ対応と並行して、他の感染症等について従前より実施してきている研究や新たな課題についても積極的に対応した。

パスツール研究所と日本

現在、日本には正式なPNメンバー機関は存在しないが、パリIPやPNメンバーと共同研究や交流はこれまでも様々な形で実施されてきている。

国立研究開発法人国立国際医療研究センター(NCGM)は、パリIP及びラオスIP(ラオス国立パスツール研究所(IPL))と協力関係を築いており、2022年4月にはそのための包括的連携協定が延長された。これによりNCGMとPNは、互いの長所を再確認しつつ、感染症等に関する共同研究の世界展開を目指すとしている 6

NCGMは、JST/AMED/JICA共同事業であるSATREPS(地球規模課題対応国際科学技術協力プログラム)を通じてIPLとマラリアに関する共同研究(2014-2019年)を実施した実績がある 7

2016年6月に設立された日本パスツール財団(一般財団法人)は、日本とパリIPやPNとの人的交流やグローバルな医療研究に対する支援活動を行っている。日本パスツール協会(2005年設立)が従前に行っていた研究者派遣事業は、同財団に引き継がれた。同財団の活動は、法人・個人の会費と寄付・協賛に支えられている 8

2020年9月にIP日本事務所(Pasteur Japan)が開設され、パリIP教授であるアナワシ・サクンタバイ(Anavaj Sakuntabhai)博士が日本事務所長となった 9。同事務所は、日本の大学や研究機関との共同研究や若手研究者の育成の分野で機能的な連携を強化していくとしている。

パリIPは、京都大学医学研究科附属ゲノム医学センター及び東京大学医科学研究所国際ワクチンデザインセンターとそれぞれ国際共同研究ユニットを設け、インフルエンザや新型コロナなどのワクチンと免疫学の研究を進めている。また、熊本大学生命資源研究・支援センターもパリIPとの共同研究・学術交流の実績がある。ルイ・パスツールと面会したことがある北里柴三郎が創設した北里研究所・北里大学は、2019年10月にパリIPと合同シンポジウムを開催した。

パリIPとしては、感染症関連研究を「ジャパン・プロジェクト」の柱に据え、日本の大学や研究機関との間で共同研究ユニットの立ち上げや連携の機会を増やしていきたいとしている 10

パリIPと日本企業との共同研究の例としては、(株)明治が、2011年から2年間にわたり乳酸菌の共同研究を、(株)コニカミノルタが創薬に生かすバイオイメージング技術の共同研究(2016年~)を、それぞれパリIPと実施している。

フランスと同様、日本は生物学や医学等の分野において独自の先端研究を積極的に進めており、関連する大学・研究所等も多い。これまで見てきたようなPNの歴史的な成り立ちや性格にかんがみると、日本の特定機関がPNに正式参加する可能性は現時点では大きくないと思われる。IP日本事務所も明らかにしているように、日本の関連機関とは機能的な協力関係を拡大・強化していくというのが現在の基本的な方向性と思われる。形式よりも中身を優先させるという柔軟な戦略を見て取ることができる。IP日本事務所の開設と「ジャパン・プロジェクト」立ち上げに在日フランス大使館が積極的に関与しているという事実もまた、フランスの科学技術外交の戦略性を伺わせるものである。