アジア太平洋地域における活動―④ユネスコによる科学分野での取り組み

2023年2月24日

樋口義広(ひぐち・よしひろ):
科学技術振興機構(JST)参事役(国際戦略担当)

1987年外務省入省、フランス国立行政学院(ENA)留学。本省にてOECD、国連、APEC、大洋州、EU等を担当、アフリカ第一課長、貿易審査課長(経済産業省)。海外ではOECD代表部、エジプト大使館、ユネスコ本部事務局、カンボジア大使館、フランス大使館(次席公使)に在勤。2020年1月から駐マダガスカル特命全権大使(コモロ連合兼轄)。2022年10月から現職

ユネスコ加盟国の大多数は開発途上国が占めており、持続可能な開発のためのSTI(Science, Technology and Innovation)への関心が世界的に益々高まる中、ユネスコとしても、加盟国により近いところでその取り組みに伴走しつつ、具体的な利益をもたらす活動が期待されている。その役割を担うのが地域事務所である。

ユネスコ地域オフィスを通じた活動

ユネスコの地域オフィスには、いくつかのカテゴリーがある。いくつかの国(ベトナム、カンボジア、パキスタン、アフガニスタン等)にはカントリー・オフィスが置かれているが、全世界的に見れば、これらはむしろ例外的であり、基本的には複数の近隣加盟国をまとめてカバーするクラスター・オフィス制度が中心になっている。アジアを例に取れば、たとえば北京事務所は、中国、日本、韓国、北朝鮮、モンゴルを所管するクラスター・オフィスである。

また、いくつかのクラスター・オフィスは、ユネスコの主要分野(教育、文化、科学)に関する分野別の地域統括オフィスにも指定されている。例えば、科学についてはジャカルタ事務所が、教育についてはバンコク事務所が、それぞれアジア太平洋地域全体における活動を統括する。ジャカルタ事務所は、ブルネイ、インドネシア、マレーシア、フィリピン、東ティモールを統括するクラスター・オフィスであるとともに、アジア太平洋全体の「科学オフィス」でもある 1

© UNESCO

アジア太平洋における科学分野でのユネスコの取り組み

アジア太平洋は各国の多様性を特徴としているが、そのことは科学分野についても当てはまる。特に科学への取り組みにおける各国の能力(キャパシティ)にはいまだ大きなギャップが見られる。科学分野を統括するユネスコ・ジャカルタ事務所も、加盟国のキャパシティビルディングにつながる取り組みを促進し、能力ギャップを埋めることを優先課題としている。

テーマとして特に重視されているのは、オープンサイエンスの推進を含む持続可能な開発を可能とするSTIの実践と、そのための組織的・人的キャパビルである。ジャカルタ事務所は、科学の分野でアジア太平洋地域の加盟国を支援するための戦略を策定している 2

The Regional Bureau's Science Support Strategy 2014-2021
(UNESCO Office, Jakarta)

地域協力を点ではなく、線から面へと拡大するために地域ネットワークの活用が重要となるが、その観点からジャカルタ事務所が着目したのが既存の枠組みであるSTEPAN(Science, Engineering, Technology and Innovation Policy Asia and the Pacific Network)の再活性化と活用である。STEPANは、アジア地域の科学技術研究と訓練に関係する機関と人々のネットワークとして1988年に設立されたが、2011年以降は事実上、休眠状態にあった。2020年にジャカルタ事務所が科学専門家による地域会合を開催した際、このSTEPANを復活(revival)させ、ユネスコが科学分野でのキャパビル等の活動を実施していく上で地域全体をカバーするチャンネル(vehicle)として活用することが決まった 3

アジア太平洋地域の戦略的方向性としては、①科学とSETI(Science, Engineering, Technology and Innovation)の重要性に関する啓発、②人的資源開発と政策形成支援を通じた技術革新による起業家精神(techno-preneurship)とSETIの促進、③様々な利害関係者による官民協力と科学テクノパークやイノベーション・インキュベーターの促進等を通じた技術移転の慫慂、④オープンサイエンス運動、AI倫理、科学の包摂性等によって「すべての人々のための科学」を促進するとともに、特に若者や女子のデジタルデバイドに対処すること、⑤科学コミュニケーションと「市民科学(citizen science)」の促進、⑥ガバナンスのための科学の促進、⑦変化する環境に対する科学ベースの解決のために地元と原住民の知識システム(LINKS : local and indigenous knowledge systems)を促進すること、⑧地域のエンジニアリング機関による認証を支援すること、⑨南南協力の促進、が定められている。

このように、2021年の時点で「再生STEPAN」の骨格はとりあえず出来上がったように見えるが、それ以降の具体的な活動状況は今のところ公開情報が乏しいことから、必ずしも十分に把握することは難しい。

おわりに:グローバル国際機関の複雑さと評価の難しさ

これまでユネスコによる科学技術分野での活動を駆け足で概観してきた。第二次世界大戦後の草創期における積極的な科学外交の成果を特に誇りにしている観のあるユネスコであるが、設立からすでに70年以上が経過し、その活動も複雑化してきている。科学分野での活動についての総合的な評価についても、おそらく各方面で様々な意見があるだろう。

CERNの事例に見るように、ユネスコの科学外交の舞台は、当初は欧米が中心であった。しかし、SDGsの達成が世界全体の課題となっている今日、科学の適切かつ有効な利用は持続可能な開発を目指す世界中のすべての国にとって共通の重要テーマとなった。他方で、ユネスコをはじめとするグローバルな国際機関の事業や活動は益々多様化、複雑化し、全体像を把握することが難しくなった。予算的な制約等もあり、一般市民にとってわかりやすい大きなインパクトを短期間に出す事業の実施が益々困難になっているという事情もある。

国際機関の活動の評価については、評価者によって様々な視点があるし、各加盟国にとっても評価軸は異なってくる。「費用対効果(どれくらいの予算を拠出して、どれくらいの具体的利益を得ているか)」という観点から考えても、評価は各国ごとに当然異なる。個人的には、一般的に言って、ユネスコのようなグローバルな国際機関の活動は、キャパシティビルディング事業をはじめとして、相対的に開発途上国にとってメリットが大きいのではないかと思うが、これもあくまでも主観的な評価ということになろう。

一部では「ユネスコの政治化」を指摘する見方もあるが、そもそも主権国家の合意によって成り立っている国際機関は、加盟国の利害が厳しくせめぎ合う、まさに国際政治の現場そのものであるという冷徹なリアリスト的見方も当然成り立つ。また、世界は多様性に満ちており、様々な課題についてグローバルサウスの発言力が増大してきているように見える。数の力を背景にノーを突き付けるグローバルサウス勢力の抑制力(nuisance value)は、グローバルガバナンスの推進において無視できない。他方で、グローバルサウス勢力も一皮剥けば必ずしも一枚岩というわけではなく、それぞれの利害関係は複雑に絡み合っており、彼らがグループとして一致団結し、建設的な共同歩調を築くことに常に成功しているわけではない。

国際社会が益々複雑化する中で、ユネスコのようなグローバルな国際機関が、単にtalk shopに終わることなく、そこで生まれる知的な発想やアイデアが具体的な行動に移されて、加盟国や人々の利益に資するようになることが重要であるが、それには国際機関を構成する加盟国がそのような明確な問題意識をもって当該組織をproactiveに活用していくことが必要不可欠である。多くの時間と労力を投入して作られたユネスコの勧告や報告書等も、各加盟国の政府や人々に参照され、受容され、具体的に実施・活用されなければ画餅であり、この点について各加盟国政府がそれぞれ責任をもって取り組むことが必要である。

世界の新たな分断化の傾向が懸念されている今日、かつてユネスコが冷戦時代に分断を乗り越えて科学外交を積極的に推進せんとしたように、各国の異なる立場や利害関係を超えて、「SDGs達成のための科学」のような共通価値の推進に向けて前向きな国際協力を率先するグローバル組織としての役割に改めて期待が寄せられている。ユネスコはその期待と挑戦に応えられるであろうか。

上へ戻る