インド交通渋滞改善プロジェクトにチャレンジ!(5)

2021年9月14日

坪井 務

坪井 務(つぼい・つとむ):
名古屋電機工業
新事業創発本部SATREPSプロジェクト
プロジェクトリーダー(博士)

<略歴>

1955年静岡県生まれ。79年日立製作所入社、重電モーター設計に従事し、87年半導体事業に異動、弱電技術最先端に専門を移す。97年日立アメリカに出向、米国のシリコンバレーの空気に触れる。2000年半導体事業部に帰任し、自動車分野での半導体開発を担当。03年ルネサステクノロジーに出向、10年日立製作所スマートシティ統括本部でスマートシティ事業従事。両親の介護の関係で12年浜松地域イノベーション推進機構に、14年名古屋電機工業に入社。

参考:インド交通渋滞改善プロジェクトにチャレンジ!(4)

今回のテーマは、前回紹介した地方行政を通しての活動の後編となる。話の中心は、各都市全般にわたり重要な役割と権限をもっているMunicipal Corporationと特に交通分野での関係機関との関わりについて、インドとの地球規模課題対応国際科学技術協力プログラム(SATREPS)を推進する中で理解できた点について紹介する。ここに紹介する内容は地方行政の役割の一部であることを先にお断りしたい。

前回紹介したアーメダバード市行政担当のAhmedabad Municipal Corporation(AMC)の中で、都市交通を管掌する副コミッショナーRakesh Shanker氏は2018年7月、現地アーメダバード市で開催した第1回ワークショップにおいて、交通に関する知見の深さとアーメダバード市での推進する熱い思いを存分に発揮され、会議の約三分の一は意見を頂いたことが記憶に新しい。ワークショップの風景として前回紹介できなかった写真を以下にいくつか紹介する。ワークショップでは、SATREPSにかかわる研究全機関が参加し、インド側のインド工科大学ハイデラバード校の教員と国内共同研究機関である日本大学の教員からの研究活動紹介のプレゼンテーションを行った。

ワークショップで発表するインド工科大学ハイデラバード校の教員ら(左)と日本大学の教員ら(右)

また、本ワークショップにはプログラムを管理・推進する日本の科学技術振興機構(JST)のデリー代表と国際協力機構(JICA)のデリー責任者、ならびにインド工科大学にてプログラムを現地で支援する現地調整員の参加も頂いた(左写真)。会場にはSATREPSを紹介するポスターも合わせて展示を行うことで、その場を盛り上げることができた。

ワークショップでJSTとJICAのスタッフら(左)。会場ではSATREPSを紹介するポスター(右)が展示された

ワークショップ終了後には、参加者によるアーメダバード市の視察を行った。プログラムにおいて、アーメダバード市内に設置した交通モニタカメラや交通状況をドライバーに提供する電子交通情報表示板を活用した渋滞緩和に向けた活動などを展開していた。ハイデラバード市にあるインド工科大学からアーメダバード市は1,000キロメートル以上離れており、日常的に訪問する機会があまりないことから、インド工科大学の教員にとっても視察は現場の状況を知るうえで大いに役立ったように思う。

アーメダバード市を視察する日印の関係者ら

こうして第1回目の現地ワークショップは成功裏に終了することができた。次年度以降も実施しようとその後も筆者がアーメダバード市を訪問するたびに副コミッショナーとは話していたが、2019年7月に急遽AMCの組織変更が伝えられ、コミッショナーならびに副コミッショナーの両名が異動となった。プログラムを推進している側としては、急に現地地方行政の窓口を失った形になり、どう対処すれば良いか途方に暮れる状態に陥ってしまった。この時は、今から思えばインドの地域行政をあつかうMunicipal Corporationとしては2年から3年で職員が異動するのは当たり前であり、ここインドでなくとも日本国内においても当然、異動があることも想像できたもので、驚くに値するものではなかったと反省する次第でもある。ただ、今回はAMCの両トップが異動という点では少々まれなケースでもあったには違いない。

さて、筆者の取った行動はといえば「当たって砕けろ」方式ではないが、正面から突破するために、直接AMCの新コミッショナーに対して、本プログラムを紹介したいと、直接面談することをお願いした。この直接交渉ではいくつもの幸運が重なった。まず、SATREPSがJICAとJSTの共同推進するプロジェクトであり、いみじくもアーメダバード市では、日本政府が推進する長距離鉄道「インド版新幹線」のスタート地点であり、約500キロメートル南に位置するムンバイ市との建設が約束された場所であったこと。次に、アーメダバード市では初めてとなる、これまた日本の政府開発援助(ODA)事業としてメトロ建設が決定していること。これらを推進するJICAの名前が地方行政にも浸透しており、本プロジェクトもJICA管理の下で進められているものであることがインド側に伝わった。そして、新コミッショナーとの面談成功へとつながったのであった。

プロジェクト単独ではこうも簡単には新コミッショナーに直接交渉で会えることは困難であったと考える。そして、新コミッショナーに第2回目のワークショップを申し出るとあっさりと承諾の返事を頂け、新副コミッショナーも同席することで、SATREPSの紹介とワークショップの提案を受け入れてくれた。新コミッショナーの了解を得たことで、筆者2019年10月にアーメダバード市を訪問し、参加要請をすべく、メトロ建設を進めているGMRC(Gandhinagar Metro Railway Corporation)と市管轄の専用バス路線を管理するJanmargにそれぞれ第2回ワークショップを計画と参加の要請に走ることになった。この時点で新任の副コミッショナーがまた変更になると聞かされたが、まずはGMRCとJanmargの確認をすべく、訪問・交渉を実行することになった。

ここで、簡単にGMRC、Janmargへの了解が取りつけられたわけではなかった点について触れる。JanmargはAMCが100%管理下においたBRT運行機関であり問題なかったが、GMRCはグジャラート州とアーメダバード市の両組織にて管理されている機関であり、AMCがOKを出したとしても、州政府からの了解も必要とのことで一般にいうお役所的縦割り構造となっている。このため、メトロ建設に携わっている国内企業のつてを借りて、GMRCの部長に会う段取りをし、GMRCの部長からはGMRCを管掌している州政府の本部長の名前の紹介を頂けた。この時点ではあくまで名前と州政府のビルの情報は入手したものの、アポもあるわけではなかったので、やむを得ずここでも「当たって砕けろ」的に教えて頂いたビルに向かい、守衛ガードマンから「アポはあるのか」との問いに「アポはないが、GMRCからの紹介で、JICAのプロジェクト紹介できた」と返答すると、「少々待て。確認する」とのことで、5分ほど門前で待機することになった。しばらくすると入門許可がおり、州政府のGMRC管理者の部屋に伺うと初老のアシスタントから、「打ち合せに入っているので、10分ほど待ってほしい」との返事を頂き、待合室ではチャイをふるまっていただけた。ダメ元ではあったが、ようやく州政府管理者に会うことになり、第一声が「アポはあったか?」と切り出され、「アポはないが、GMRCの部長さんからの紹介で来た」と伝えると、笑顔で「なんの用だ」と聞いてもらえる雰囲気に。筆者は「SATREPSを推進しており、来年早々ワークショップを計画しており、GMRCやAMCの関係者への調整を行っている」ことを説明すると、「何か困っていることがあるのか」と言われ、「AMCの副コミッショナーが代わる話を聞いており、まだコンタクトできていないので困っている」と伝えた。すると、AMCコミッショナーに電話をその場でかけ、筆者の訪問希望と困っている内容を説明。新任の副コミッショナーとなる人を聞き出してくれ、さらにその人への面談アポを取って頂き、「今から会えるか」との言葉に、筆者は「今からAMCに向かいます」と返答した。「これで良かったか」と笑顔で言われ、丁寧にお辞儀をして急ぎAMCに向かった。そして新任の副コミッショナーに晴れて会える段となった。

以上のことから、第2回ワークショップを問題なく開催することができたのは言うまでもない。進め方は第1回目のワークショップと同じなので詳細は割愛するものとして、以下にワークショップでも各種意見を頂いた新任の副コミッショナーSangwan氏と、所用で退席されて最後までワークショップ参加いただけなかったものの、残ったメンバーでの集合写真を示す。参加者はAMC、GMRC、Janmarg、PWCコンサル、JSTインドリエゾンオフィス、JICAデリー、JETROアーメダバード、インド工科大学ハイデラバード校教員、日本大学教員、SATREPS研究主幹と名古屋電機のスタッフらだ。関係機関の枠は広がり活動内容の普及に寄与できたと考える。

第2回ワークショップで新任の副コミッショナーSangwan氏(左)と集合写真(右)

このようにして、インド地方行政の体制とその動きに関して、SATREPSというプロジェクトを通じて、実際に体験することは貴重な情報であると同時に、関係を維持しつつ目標に向かって進めることの難しさをご理解頂けるのでは思う。一方で、筆者としては、こちら側の思いを正面切ってぶつかっていく意欲は必須であり、その前提には日本とインドとの良好な関係が構築されていたからこそ実行できたことを記して、本稿を締めくくりたい。

次回は、昨年2月以降に拡大した世界規模のコロナ禍でこうした海外プロジャクトも大きな影響を受けており、その中でどのようにプロジェクトを進めていって良いかに関して、できる限り最新の情報も含めた形で紹介してみたい。