2022年05月10日
松島大輔(まつしま だいすけ):
金沢大学融合研究域 教授・博士(経営学)
<略歴>
1973年金沢市生まれ。東京大学卒、米ハーバード大学大学院修了。通商産業省(現経済産業省)入省後、インド駐在、タイ王国政府顧問を経て、長崎大学教授、タイ工業省顧問、大阪府参与等を歴任。2020年4月より現職。この間、グローバル経済戦略立案や各種国家プロジェクト立ち上げ、日系企業の海外展開を通じた「破壊的イノベーション」支援を数多く手掛け、世界に伍するアントレプレナーの育成プログラムを開発し、後進世代の育成を展開中。
参考:再創業支援型インターンシップと産学融合のすゝめ⑧~システム・メーキングとは―DX養蚕システムが世界を変える!?(前編)~
前回紹介したシステム・メーキングの好例として、DX(デジタルトランスフォーメーション)を応用したDX養蚕について、さらに背景を深掘りしていく。実際のグローバルな文脈でこのDX養蚕は受け入れられるだろうか。タイ王国は、「タイシルク」に代表されるように、現在でも中国やインドに続く養蚕大国であり、伝統的な養蚕分野での研究の蓄積がある。またタイシルクで有名なブランド、ジムトンプソンは日本からタイを訪問した観光客にとって、最も人気のあるタイ土産候補の一つではないだろうか。筆者はタイ工業省の顧問を拝命していろいろタイの産業政策を勉強させていただいた際、プラモート・ウィタヤースック副大臣から、ジムトンプソンのデザイン戦略はかなり周到なもので、日々新たなデザインを検討しており、これがグローバルな展開力を有する力となっているとのことをお聞きし、感銘を受けたものである。
実は、タイシルクの発祥には、日本も大きく貢献している。養蚕に遺伝学を導入し、動物で初めてメンデルの法則を証明した外山亀太郎は、1902(明治35)年よりバンコクのタイ王国の帝室養蚕研究所で 4 年間勤務するなど、日タイの養蚕研究に貢献したとされる。日タイのシルク産業をめぐる協力は、120年近くの長い歴史を有するのである。DX養蚕システムを通じた絹生産の大規模・安定供給は、タイにおいてシルク産業を一大新規産業として復活させることができる。
他方で、今から7年近く前になるが、本プロジェクトをタイに伝導した紫紘の野中明社長に対し、一部タイの既存シルク産業関連事業者側からは、DX養蚕による既存シルク産業の将来に対する不安の声もある。これらを払拭してタイに新たな産業を構築するという挑戦が重要になってくるだろう。これが、産学融合により新たなシステム・メーキングを目指す最初の一歩になるといえる。
農業大国タイは、個別農家が政治的には強力なステークホルダーとなることから、農業分野の生産性向上、高付加価値化は近年の政権において最大の課題である。タイは『第12次五カ年計画』(2017~2022年)において、農地の大規模化をうたっており、そのための施策として精密農業の抜本的導入が期待されている。同計画では"Smart Farming Policy"が強調されており、また既に高齢化社会の問題が深刻化し、もはや低賃金労働力では国競争力を維持できない「中進国の罠」に陥る可能性が指摘されており、イノベーションを駆動力とする成長に向け、産業構造全体に斉一的にIoT(モノのインターネット)やAI(人工知能)を活用した展開が期待されている。精密農業のタイへの導入による単位面積当たりの農業生産性向上が優先的な課題であることから、大規模・高効率・高品質農業生産を実現する精密農業分野での技術移転は、タイの国是といえる。
さらに地域的な課題として、このコラムでも消防自動車製造の業態転換で説明してきた通り、タイ北部や他のASEAN(東南アジア諸国連合)各国の山岳地帯では、焼き畑への過度の依存による森林火災とその結果招来するヘイズ(煙害)が深刻化しており、そのための対策として換金性の高い桑などの果樹への転作は深刻な課題として提起されている。特に桑への転作は、現地では桑の実をベリーとしてジャムなどに活用するという方法がある。それ以上に桑葉を利用した桑茶は、糖の吸収を抑えることで、食後の血糖値上昇を抑制し、インスリンの分泌を緩和することで糖尿病対策となる可能性があるといわれている。野中社長のお話では、桑の葉をかじった昆虫は動けなくなるという。
現在タイ政府が進めている、BCG経済モデルに対し、DX養蚕は大きく貢献するだろう。BCG経済モデルという用語は日本の読者にはなじみが薄いかもしれない。そもそもその背景には、ある思想が根底にあると考えられている。プミボン前国王が提唱した「足るを知る経済(Sufficient Economy)、"セータキット・ポーピーアン"」がそれである。仏教国タイの根幹にあるといえ、国連の「持続可能な開発目標(SDGs)」を先取りする発想といえるだろう。
ちょうど筆者がタイ国家経済社会開発委員会(NESDB:National Economy and Social Development Board)の事務局に政策顧問として出仕していたころ、のちにプラユット政権の財務大臣にも就任したアーコム長官(Arkhom Termpittayapaisith)やNESDB幹部の皆さんからことあるごとにこの「足るを知る経済」の思想・哲学を学ばせていただいた。NESDBはタイの「5カ年計画」をつかさどる、かつて終戦直後の日本の経済安定本部(安本)のような内閣直属の組織である。著者がタイに赴任している時代に実施されていた5カ年計画である「第11次5カ年計画(2012~2016年)」では、この「足るを知る経済」の発想が基本理念とされていたのである。
BCGは、バイオ(Bio)、サーキュラー(Circular)、グリーン(Green)の頭文字をとってBCGとしており、それぞれバイオと循環とグリーンの経済を強調するものである。つまり、バイオとは生物資源の利活用を通じた経済活動であり、サーキュラーとはリサイクルを通じた経済活動、さらにはグリーンとはカーボンニュートラルを目指す再生可能エネルギー導入のような経済活動である。まさにSDGs時代の新政策であり、2019年にスウィット高等教育科学イノベーション大臣が提唱したものである。さらにこのBCG経済モデルの提案を受け、プラユット首相は、2021年1月にBCG委員会を招集し、同年から5年間、2026年までのBCG経済モデル戦略の計画が承認された。
DX養蚕はまさにBCG経済モデルを体現するものである。すなわち、地球規模での過度な化学繊維依存からの脱却を可能にし、この地域にDX養蚕という新しい持続可能な産業とイノベーションの源泉を生むことにつながる。これらのベストプラクティスが確立すれば、ASEAN周辺国への第三国支援、東アジア地域包括的連携協定(RCEP)による東アジア地域への精密農業を通じた東アジア経済統合と連携の中核として機能することを期待している。
転じて日本政府のタイへの支援戦略は、タイの要望と共鳴している。日本政府が2020年2月に発表した「対タイ王国 国別開発協力方針」では、「持続的な経済の発展と成熟する社会への対応」「ASEAN域内共通課題への対応」「第三国支援の実施」の3つの重点分野(中目標)として掲げており、基本方針(大目標)で、「戦略的パートナーシップに基づく双方の利益増進及び地域の自立的発展の推進」、としている。つまりDX養蚕は、この日本側の対タイ王国援助方針とも完全に一致し、①精密農業を活用した大規模・高効率・高品質農業を実現することが可能となる。そのうえ、②タイが、ヘイズを中心とするASEAN域内共通課題への対応に対してイニシアティブを実現、さらに、③上記精密農業技術やノウハウ、および地域の農業団体や農民個人への直接的な指導・教育など、ASEAN域外への第三国支援を具体的に実現することができる。
先に挙げたBCG経済モデルの重点4分野については、北陸で既に取り組んでいる「シン産業化」のプロジェクトと親和性が高い。例えばELV漁礁やコミュニティ暗号貨幣SATOは、北陸経済とタイのBCG経済モデルと融合することで、グローバルレベルのプロジェクトに押し上げ、この新たな経済モデルを具現化するものであるといえるだろう。BCG経済モデルではさらに、タイランド4.0を前提にして4つの重点を指定している。この4つの重点分野、「農業と食品」「ヘルスケアと医療サービス」「バイオエネルギーとバイオケミカル」、「観光と創造経済」について、今後システム・メーキングを目指すに日タイ産学融合が可能となるだろう。現在、タイ王国公益法人お互いフォーラムではこの4つの分野の産官学融合戦略について、タイ工業省と一緒になって模索しており、具体的な成果を追求していく予定であり、2022年3月9日にタイで開催された大型産業展示イベントMETALEXの開会に合わせて挙行された第21回お互いフォーラムでも、BCG経済モデルを前提にしたこうした日タイの産学融合の取り組みについて発表した。(下記の表参照)。
農業と食品 | ヘルスケアと医療サービス | バイオエネルギーとバイオケミカル | 観光と創造経済 | |
親和性のある北陸での取り組み | ELV人工漁礁/リフード | 日本版CCR/ヘルスケア | 再生可能エネルギー・地域エネルギー/78美食倶楽部 | コミュニティ暗号貨幣SATO/きたまえJAPA/饗応プログラム |
=このシリーズ終わり